宿に着いて車から降りると、風が吹きつけた。冬の訪れを感じる。細い雨が降っていた。河鹿橋がライトアップされるというので、荷物を置いて散歩に出ることにした。8ヶ月になる息子を抱っこ紐に入れて、さらにケープもつけた。彼も大きくなってきて、肩と腰にずっしりと重みを感じる。榛名山の東麓に位置する伊香保温泉街から、河鹿橋に行くには山を登っていかなければならない。宿から10分の位置にあるとはいえ、8kgになった息子を抱えながら坂を登るのは骨が折れる。200メートルもいかないうちに息が上がってきた。ふくらはぎにも違和感がある。
すこし広い間隔で置いてある街灯を頼りに歩いていく。街灯が光の届くところまで照らし、暗闇との境界線を作っている。その境界線はぼんやりしていて、今にも暗闇に吸い込まれそうに見えた。すべて明かされていない秘めやかさに色気があって、夜の散歩が好きなのかもしれない。しばらく進むと突き当たりに斎藤写真店と書かれた建物が見えてきた。
左に折れてみっつのかたまりの石段を登りきると伊香保神社が出てくる。すべらないように、一歩一歩踏みしめながら歩いた。伊香保神社の脇を通ると整備された山道に出た。
ほかにもちらほらと、河鹿橋に向かっているだろう人たちがそれぞれのペースで、追い越したり追い越されたりしながら、歩いていた。右手にもう閉じてしまったお店が続いていた。
少し歩くと右手に河鹿橋が見えてくる。紅葉のピークを見越して日付を決めたが、河鹿橋の近くはまだ色づき始めのようだった。真っ赤に染まる紅葉は見られなかったけれど、緑が混じった姿も風情がある。雨粒が紅葉の葉をなでながら落ちていくのが見えた。
気づかぬうちに息子は寝てしまったようだ。雨も降っていたので早めに切り上げて宿に戻ることにした。来た道を戻っていたら「cafe&bar 庭」と書かれた看板を見つけた。旅の力か、子供も爆睡しているし、バーにふらっと入って一杯飲んでから帰るのもいいかと思い入り口を探したが、看板が指し示している場所にそれらしきものはない。宿の小さな庭があるだけだ。庭からは宿のラウンジらしき場所が見えたが、入り口がなく、お酒を提供している様子も見られない。どこかの岩に触れるとBarの扉があらわれるとか、宿のフロントの人に合言葉を伝えたら入れるとか?何らかの謎を解かないといけないのか?心がきれいじゃないと扉が見えないのか。
うろうろしているうちに息子が起きてしまったので、あきらめて帰ることにする。宿に戻ってからMapで調べたが、庭という名前のBarは出てこなかった。あの看板は何だったんだろう。代わりに、石段街に楽水楽山というBarがあるとわかった。日本初の女性バーテンダーが営む店らしい。また来た時に行ってみよう。
次の日に、河鹿橋の昼の顔も見に行くことにした。同じ道を進んでいるのに、夜とずいぶん印象が違う。息子は夫に任せたので肩が軽い。どこも明るく照らされて、見えないところがない分、気が楽だった。河鹿橋の紅葉は夜に見た時よりはるかに色づいて見えた。
温泉を飲めるところがあるらしく、河鹿橋を通り過ぎて進んでみる。お、あった、「伊香保温泉飲泉所」と書いてある。出ている温泉は茶色がかっていて、ふと露天風呂の脱衣所の前に、伊香保には黄金(こがね)の湯と白銀(しろがね)の湯があると書いてあったことを思い出した。これは黄金の湯かな?かなり鉄っぽい味がした。黄金の湯は鉄分を多めに含んでいると書いてあったので、これが温泉の味なんだろう。
宿に戻り朝ご飯を食べている最中に、ロープウェーに乗ろうという話になった。宿のすぐ近くにロープウェー乗り場があったが、駐車場がいっぱいだったので、駐車場を探して石段街のふもとまで降りることになった。石段街の入り口の前にある駐車場に車を置いて、もう一度ロープウェー乗り場に向かった。
IKAHOと書かれた赤いモニュメントを尻目に石段街を上り始める。夜には街頭や電球に明かりがともるんだろうか。雰囲気がありそうだ。石段街の終わりはここからは見えず、果てしなく感じる。ところどころ温泉が石段の上に染み出ていて、湯気が立っていた。玉こんにゃくのお店の前に列ができている。お客さんが買ったそれぞれの玉こんにゃくからも湯気が出ていて、小さな煙突がたくさん立っているみたいだった。石段、石段両脇のお店たち、紅葉した山の魅力を一枚に収めようと、シャッターも何回も切っている人たちがいる。石段街を仰ぎ見ると、お店から張り出した看板が縦に連なって、お客さんたちを見下ろしていた。
石段街55段目にあるクレープ屋さんCREAMでラテを買う。今日一杯目のコーヒーだ。シロップを入れてもらった。美味しい。
100段目のあたりで左に折れると、石段街の活気とは打って変わって、さびれた街並みが広がっていた。ほとんどの店がシャッターを下ろしていた。ひとりが銃を構えて的をにらみ、連れの人がはやし立てる。その後ろでどの景品が欲しい?と話しながら順番を待っている人たちがいる。先に進もうとするが狭い路地に人があふれていて歩きづらい。前の人に体が当たりそうだ。数軒先の喫茶店では、楽しそうに談笑する顔たちが窓越しに見える。そんな時期もあったのだろうか。唯一看板の照明がついていた射的屋さんのカウンターで、店主らしき人が新聞を広げていた。宿のエレベーターの中に貼ってあった伊香保の店リストに乗っていた喫茶店も見かけたが、閉まっていた。
ロープウェーは往復830円。15分ごとに運航。温泉街の不如帰(ほととぎす)駅から標高955メートルの見晴駅をつないでいる。定員が10人くらい?の小さいロープウェーに乗り込み、見晴駅まで向かう。先に乗っていた人がひとつしかない椅子を譲ってくれた。最近息子は親以外の人間を珍しく感じるらしく、ロープウェーから見える景色ではなく隣に立った女性をじっと見つめていた。夫婦でロープウェーに乗っていた女性は息子の視線に気づき、「すごい見つめられてる」と声をかけてきた。子供を連れて歩くようになってから、声をかけられることが多い。でも、決まって声をかけてくる人は親とは目を合わせない。それがなんだか可笑しい。子供に声はかけるけれど、親にはあんまり負担をかけたくない、そんなところだろうか。いつも「あはあ」とか「ははあ」とか言葉にならない音を発して相槌らしきものを打っている。
ロープウェーを降りるとすぐ左手にミニ展望台(Nice View)と書かれた看板が見えたので寄ってみる。高い高いしてもらった息子は喜んでいた。元の道を戻ると目の前に展望台と書かれた木の看板があった。ミニ展望台がNice Viewなら、展望台はVery Nice View? 上ノ山公園を通って展望台に向かった。だいぶ山が色づいている。
展望台の名前はTOKIMEKIデッキというらしい。TOKIMEKIという言葉に反して、息子は高い所が怖いのか、景色の方に顔を向けなかった。
息子のミルクの時間をすっかり忘れており、もう4時間以上経っていることに気づいた。哺乳瓶を取りに車に戻らなくては。しかも旅館でお湯を注いで来るのを忘れてしまった。いったん石段のふもとにある車まで戻り、お世話になった宿に甘えてお湯をもらうか?そうするとまた石段を登らなければいけなくなってしまう。ふと夫が最近コンビニに白湯が売ってると言っていたのを思い出した。駐車場の近くにローソンがある。一か八かで行ってみると、なんと置いてた!助かった!!車でミルクをあげて、今度は親のお腹を満たすため、石段街の255段目にあるSARA”S terrace Arraiyaに向かう。上州牛をつかったロース丼が目当てだ。
SARA”S terrace Arraiyaに向かっている途中に、小窓を見つけた。のぞきこむと温泉が流れている。石段街には源泉から宿にお湯を分岐させている「小満口(こまぐち)」があり、そこから温泉が流れるのを見ることができるらしい。
さらに上っていくと、石段街の中程に与謝野晶子の歌が刻まれている。
「伊香保の街」
榛名山の一角に、段また段を成して、
羅馬時代の野外劇場の如く、
斜めに刻み附けられた桟敷形の伊香保の街、
屋根の上に屋根、部屋の上に部屋、
すべてが温泉宿である、そして榛の若葉の光が
柔かい緑で 街全體を濡らしてゐる。
街を縦に貫く本道は 雑多の店に縁どられて、
長い長い石の階段を作り、伊香保神社の前にまで、
Hの字を無数に積み上げて、
殊更に建築家と繪師とを喜ばせる。
石段街の風景が目に浮かぶような文章だ。
牛ロース丼には無事ありつくことができた。最後の2つだったらしく、運が良かった。
そろそろ帰るか、と石段を下り始めた。歩いていると石段に干支が刻まれていることに気づく。200年以上前、伊香保の石段街には「大家」と呼ばれた12の温泉宿があり、12の温泉宿は、それぞれの干支を宿の家紋のような意味合いを持って使っていたそうだ。その宿があった場所に、干支が彫られているらしい。ひつじ年がなかなか見つからない。そういえば息子の干支は何だっけ?とくだらない話をしながら下りる。
わき道に入ってるんごという自家焙煎珈琲を出しているカフェに寄る。今日二杯目のコーヒーだ。焙煎機の横でお姉さんがハンドドリップしてくれており、集中している姿に見とれる。
丁寧に淹れられたコーヒーを飲みながら石段街をそろそろ降りきるぞ、というところで、夫が、湯の花まんじゅうが食べたいと言い出した。伊香保は温泉まんじゅう発祥の地だそうだ。石段街にある田中屋に向かってまた石段を上り始めた。本日3回目。太ももがいうことを聞かなくなってきた。あまりにきつくて一段一段「痩せたい、痩せるぞ」とか「もう少し!」とか言いながら上った。なんとか田中屋にたどり着いたのに閉まっており、なかなか温かいまんじゅうを売っているところを見つけれられない。そういえば昨日河鹿橋に向かっているとき、暗がりの中で温泉まんじゅう屋さんを見かけた気がした。今日の朝も、数人が店の前で湯気の立つまんじゅうを食べていたのを見た。調べると温泉まんじゅう発祥の店で、勝月堂(しょうげつどう)というらしい。勝月堂を目指してまた石段街の最上部手前まで登った。が、終売していた。ふとスマホを見たら、2日で2万歩以上歩いていた。