2017年10月、ハーヴェイ・ワインスタインの性暴力に関する記事がニューヨークタイムズとニューヨーカーに掲載された*。ハーヴェイ・ワインスタインは『パルプ・フィクション』、『シカゴ』、『恋におちたシェイクスピア』などを世に送り出したミラマックス社を設立した映画プロデューサーで、映画界に絶大な影響力を持っていた。記事が出たあと、被害を受けたという女性が80人以上名乗り出た。ワインスタインは起訴され、有罪となり収監された。この事件はのちに、SNSで性暴力を受けた女性が声を上げる「#MeToo運動」のきっかけとなった。
オーストラリアの映画監督であるキティ・グリーンは、大学におけるセクハラや性加害をテーマにドキュメンタリーを撮ろうと思っていたが、ハーヴェイ・ワインスタインの事件がきっかけとなり盛り上がった「#MeToo運動」をうけて、映画業界を舞台にしたフィクションを撮ることを決めたそうだ*。
『アシスタント』(2019) (原題:The Assistant)はニューヨークにある映画制作会社でアシスタントとして働くジェーン・ドウの1日を淡々と映し出した作品だ。彼女は誰よりも早く出社し、電話番、資料の整理、郵便物の処理、会社の会長に会いに来る女性の子守りまで、ありとあらゆる雑務をこなしていく。
ジェーン・ドウの人物像の背景には、100人以上の人たちの声がある。キティ・グリーンは実際に映画業界で働いていた人々――アシスタント業務についている人だけではなく、重役ポジションの人も含めて――100人以上にインタビューを行い、ジェーン・ドウという人物に反映させたそうだ*。アシスタントとして働いた経験があるか、もしくは似たような雑務を経験したことがあれば、ジェーンの1日のどこかに自分の姿を見るのではないだろうか。
ジェーンは会長に関する雑務をこなすうちに、女性が性的に搾取されているのではなかという疑念を持つようになる。アイダホから来た業界未経験の新しいアシスタントを高級ホテルに送る、ホテルに送ったあと長い間不在にする会長、会長の部屋に落ちている片方のピアス、会長の部屋のソファには絶対に座るなという笑い交じりの重役たちの言葉。
搾取は、搾取する人間が一人いるだけでは成立しない。必ず周りに見て見ぬふりをする人間がいるから成立する。ワインスタインの事件でも、ワインスタインはセクハラを行った女性たちに示談を持ち掛け、女性たちは今後一切この件を口外しないと書かれた秘密保持契約にサインさせられていた。ミラマックス社とワインスタインカンパニー内に、ワインスタインの行いを知っていながら、その行いが露見しないように、法律面で力を貸して女性たちの声を封殺した人間がいたわけだ。またニューヨークタイムズの記事によると、ワインスタインカンパニーの従業員たちは会長の評判が傷つくような批判、従業員の評判が傷つくような批判を言わないという契約書にサインさせられていた。
ジェーンは会長により女性が性的に搾取されているのではないかと直感した時点で、会社の人事部の相談しに行っている。そこで人事部の人間は、ジェーンは名門大学を出て、400人以上応募してくる倍率の高いポジションを勝ち取り、今アシスタントして働いている。夢はあるか?とジェーンに問いかける。彼女には映画プロデューサーになりたいという夢がある。ジェーンが勤める会社は、映画業界で影響力を持った会社だ。今までの努力と将来を捨てて、この告発でキャリアを棒に振るのか?とジェーンに畳みかけ、告発をもみ消そうとする。挙句の果てに、最後に「君は会長のタイプじゃない」と言い放つ。ジェーンが涙ぐみながらオフィスに戻ると、告発した事実、内容が会社中の人間に知れ渡っている。即会長から電話が来て、出過ぎた真似をするな、この会社で働き続けたいなら反省文を書いて送れ、と言われる。私がジェーンと同じ立場だったら、同じ行動がとれるだろうか?私にはできないだろう。それでも声を上げる人は、構造に立ち向かう勇気を教えてくれる。そういう人を尊敬する。
『アシスタント』の舞台はワインスタインの事件に着想を得ているため映画業界だが、権力の勾配による搾取、その搾取を可能にする構造という観点から、もっと大きい枠組みで捉えることもできる。
『アシスタント』では会長は終始姿を現さない。いつも電話越しの声だけだ。それはすべての非難が彼に向けられることを防ぐためのように思える。男性であれ女性であれ、権力を持った人間が利己的にふるまい、周囲の人間がその影響力をありがたがり、自分のことだけを考えて見て見ぬふりをした場合、場所がどこであれ同じようなことが起こりうる。その構造は映画業界だけではなく、いたるところにある。『アシスタント』はそのことを描き方や映像で感じることができる良い映画だと思う。
昨今の流れを見ていると、罪を犯すようなトップがいる会社はいずれ失脚するので、見て見ぬふりをして影響力にあやかるよりも、会社から離れるか、勇気をもって告発する方が賢明な選択かもしれない。
冒頭のニューヨークタイムズの記事が発表される過程を描いた『SHE SAID/シー・セッド その名を暴け』(2022) (原題:SHE SAID)という映画もあるので、興味のある方は見てみるといいかもしれない。原作はこの記事を書いた記者2人の回顧録である。
キティ・グリーンはジョンベネ殺人事件に関するドキュメンタリー映画『ジョンベネ殺人事件の謎』 (2017) (原題:Casting JonBenet)という映画も撮っている。こちらもジョンベネ事件のドキュメンタリー映画を撮るという設定で、オーディションに来た役の候補者に事件を語らせるという手法や、映像が面白かったので、興味のある方は見てみてほしい。
*Jodi Kantor and Megan Twohey, “Harvey Weinstein Paid Off Sexual Harassment Accusers for Decades”, The New York Times, Oct. 5, 2017, Harvey Weinstein Paid Off Sexual Harassment Accusers for Decades – The New York Times (nytimes.com) (閲覧日:2024年1月16日)
*Ronan Farrow, “From Aggressive Overtures to Sexual Assault: Harvey Weinstein’s Accusers Tell Their Stories”, The New Yorker, October 10, 2017, From Aggressive Overtures to Sexual Assault: Harvey Weinstein’s Accusers Tell Their Stories | The New Yorker (閲覧日:2024年1月16日)
*『アシスタント』パンフレット P.16
*『アシスタント』パンフレット P.16